はじめに

私はとある僻地の診療所で、たった一人で勤務するX年目のドクターです。

と書き出しておきながら、このブログは診療日誌ではありません。

 

オープンデータを使った研究で学位を取得してから2年、データサイエンティストの真似事をしてきました。Rでのコーディングにもデータの処理にも慣れ、公的機関の作成する神エクセルに悪態をつき、全然伸びない日本の検診受診率を嘆き、それなりに楽しく暮らしてきたわけです。

そして2024年2月。

 

あれから全然論文が出せていない。

ばかりか、地力がついた感覚がそもそも無い!

 

指導を頂いている他施設の先生方と話す度に、自分の知識のなさを痛感するのです。

話がわからない。

とりあえずこれやってみましょう、と軽く言われた解析が、私の立ち位置から見ると山の如く高く、問いかけても林の如く静かであることの恐怖。

そして思い返す。

 

何かしらの課題を抱えて解析に取り組むたび、壁にぶち当たり続ける。

この壁はなにか?

グーグル先生に聞く。この壁はこの壁とこの壁からなります。

この壁とこの壁はなにか?

ChatGPTに聞く。この壁はこの壁(もう少しわかりやすい)とこの壁(もう少しわかりやすい)からなります。

……

 

この壁はなにか?

 

多分、シンプルに知識が不足しているのだと思う。

目の前のことに取り組む、それは人生なんだし、それをしないとどこにも進めないが、そればかりしていてもどこにも辿り着けない。

 

これまで必要に迫られていくつかの統計手法に触れてきたが、それが果たして自分の中にどれだけ確かな状態で残っているだろうか。

書籍「自分の中に歴史を読む」で、何かを学ぶというのは、それを学んだことで自分がどう変わったかということだ、といったような記述があったと思う。

自分はこれまでの仕事と、その中の学びによって、どう変わっただろうか。

まったく変わっていないとは思っていないし、言うつもりもない。それは単純に過小評価だし、これまでの指導者にも過去の自分自身にも敬意が欠けた発言だ。

 

しかし、こと統計と数学というジャンルにおいて、私はもっとしっかりとした足場が欲しい。

なにせ、普段使うツールのくせに、あまりにも知らない。

よく知らないものを使って出来るのは、よく知らないものだけなのではないか。

よく知らないもののことを、どうして胸を張って語れるだろうか。

 

これは、私が勉強するためのブログです。

学習したステップのログとしてここに残します。

真面目な人間なら勝手に一人でやるんだろうが、私は誰かの目があったほうが頑張れるタイプなので、インターネットをパブリック・アイとして利用させてもらう。もっとも、コマーシャルのノウハウもなければそのモチベーションもないので、ほとんど誰の目にも触れないだろうが。

 

まずは有名な統計学演習を参考書として学習を進めようと思う。

また、学習到達度の確認として統計学検定を受けてみよう。まずは学部レベルとされる2級が目標だろうか。

 

私へ

本業と研究の合間で進めていくことになる。

ガチるならかなりのハードモードになるだろう。

スケジュールを言い訳にしないように。

妙な甘えが出ないよう、気を引き締めていこう。

私より

 

参考書籍: